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一部だけを見たせいで全体を間違える





前後を考えないで判断するというのは「足の裏をみてどんな顔か判断する」
くらいの話なのですが、人は「その場のフィーリング」が優先してしまいますよね。

一例としてはこんなもの。

A:「男は独房の汚れたベッドに横たわり、かすかな隙間からさす月明かりに、かつて過ごしていた日々に想いを馳せていた」

B:「男は食卓を埋めつくすような、妻が作ってくれたご馳走を思うままに食べ、酒を煽り、そしてベッドに横たわるやいなや眠りにおちていった」

この二つだと、前者は「かわいそう、つらい」後者は「幸せ、楽しそう」などの解釈をするかと思いますが、
実はこんな文脈があったとしたらどうでしょうか?

A:「刑期を終えて独房ですごす最後の夜、出所を控えた男は独房の汚れたベッドに横たわり、かすかな隙間からさす月明かりに、かつて過ごしていた日々に想いを馳せていた」

 

B:「明日は数年に及ぶ刑期が始まる、自宅での食事はしばらくお預けになるであろう男は食卓を埋めつくすような、妻が作ってくれたご馳走を思うままに食べ、酒を煽り、そしてベッドに横たわるやいなや眠りにおちていった」

 

 

前もって「どういう状況で」という知識があると、同じことについてでも判断が全く違うものになりませんか?
という点を感じてもらえればと思います。
(今回の例は完全に後だし設定で卑怯なのですがそこはご容赦を)

 



AもBも最初のパターンは「なぜそこにいて、なぜそういう行動をしているのか?」
について全く触れていないという点について何も考えないと…

1.「勝手に感じたこと」で
2.「勝手に情報を補完」してしまい
3.「勝手に判断」してしまう

というわけですね。
その判断が”たまたま”結果と一致したとしても、その論拠は「思い込みと想像」です。

 

ちなみにですが、前提が間違っていても結果が合ってしまうこともあります、
推論の帰納法であるやつですね。
(Yes/Noの二択問題に限定されるでしょうが)

 

A 女性には出産能力がない

B 彼は女性である

なので彼には出産能力はない

前提が間違っているけど、二つを照合すると結果は正しくなってしまうパターンです。
(「論理学」序論、論理と言語より、書を読まなくともわかるように「道元」を「彼」に変えて改変引用しました)

全体の中から状況を方向づけるはずの要因を省き、煽情的な部分だけを切り抜く手法は、ニュースやSNSでの煽りによく使われます。

主な目的は言わずもがな「反応してもらうため」、そうする理由は「正しく冷静な判断で興味をなくされないため」です。

 

わけのわからないこと言えば、反論せざるを得ないであろう…
というあたりを前提にしてるので、更に質が悪いのですが…

まあ某日新聞社が盛大にやらかした、サンゴに自社の記者がわざと傷をつけ、
その写真一面掲載しつつ「ジャーナリスト宣言」という文句とともに環境破壊!
などと記事を書いた自作時演などインパクトはあったでしょうね。

 

さておき、以前に書いた文脈効果は「文字数」レベルの認識についての話でしたが、
それの拡大版、認識の齟齬による現実の曲解ともいえるでしょう。
https://xieal.com/?p=1149

間違いがあっても脳が補完してしまうー文脈効果

技法としては「一文を個人の思想フィルターなどを使い好き勝手に解釈させる」わけですが、
これを狙うために最低限かつテンプレとして設定されるのが二点。

 

・好きに解釈できるように情報の欠損と余白を作る

・感情的な部分を煽り、思考停止に陥りやすくする

 

応用はあれども、これ尽きます。

とてもシンプルなのですが、人の基本性質であり、行動報酬足り得る快楽でもある、
「判断する快感」「物申す快感」というところをついてきますので、めっちゃ有効ですよね笑






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