同じ話題について会話していても、どちらも”相手が間違っている”と主張するパターンがあります。
原因として、言葉の意味や示す範囲などの定義を共有しないせいで、
それぞれが使う上で意味の違いがでてきてしまうことに由来するケースは少なくはないでしょう。
そういう「意味が違う言葉を使って、正しい議論をしてしまう」ことを
ソリテス・パラドックスと呼びます。
そのようなことにならないためには、まず二つのことに気をつけるのがおすすめです。
論点ずらしが賢いと思ってるバカ残念極まる人への対策にもなります。
バイアスの一種として紹介されることも多いですが、
単に議論の仕方を知らないだけではないでは…と不安になることも…
気になる方はこちら
確認しよう
1.言葉が示す「もの」「範囲」「程度」などはしっかり共有する。
2.文脈のなかで言葉は役割が変わっていることがあるので、注意する。
こう書いても実例がないと、想像がめんどくさいので、三つ書いていきますね。
砂山のパラドックスの例
定義をしっかりしないとどうなるか?そしてどう対策すればいいか?
についてはまずは砂山のパラドックス*1を紹介します。
「砂山から砂の粒を一つとっても、そこに残るのは砂山である、ではその砂山に砂粒が一つしか残らなくなった時もにそれを砂山とよんでいいか?」
という問題に対して
A「砂山が小さくなっただけ」
B「それはもう砂山ではない」
というように、違う解釈をする人がでてくるでしょう。
これに関しては「砂の量」を指標にして「どの程度の砂粒があれば砂山」という定義ができれば、Yes/Noが成立しますね。
*1「山」という単語がある以上、一粒でも砂山というのは文章が破綻している気がするのですが、
「山」が場所などを表す意味で使っている時にはそうでもない…と無限に疑問がわいてしまうので、
そういうことを防ぐためにも有効です。
実際にありそうな例
「若さ」という言葉を会話で扱う場合の例
A「若いかたはあまりひどくはならないのですが…」
B「わしゃまだ若いから大丈夫だな!」
という、やりとりがあったとします
「若さ」をAは「年齢」として使用しており、Bは「在り方/精神」の状態として使用しています。
当然話は合いませんね。
これも「何歳くらい~まで」と言えば齟齬が生まれにくくなるでしょう。
たまに肉体年齢何歳!とかよくわからない若さをアピールする人がいますが、それは随時対処で…
おじいちゃんの斧
おじいちゃんからもらった斧は、代々受け継がれてきたものです。
壊れたら部品を交換したりしてずっと使って今に至ります。
さて、この場合にそれがすでにオリジナルの部品がなくなっている時でも、
それはおじいちゃんの斧なのか?
という疑問がわいた場合に
「物質的な話ならNo」でしょうし、「精神的なもの、行動様式の問題」ならYesというところでしょうか?
どちらを選ぶにしても、視点はどこか?何を基準にするか?が決まれば悩むことはなくなりますね。
「正しさとはなにか?」を考え出すと一生かかっても答えはでなそうですが、「定義しておく」という作業で会話の齟齬などは減らせそうです。
ただし、都度「定義は?」というのも、うっとおしい人間だな…と思われるでしょうから、そこの調節はあなた自身にしかできません…笑

