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あたらしいことは過去によって定義されるー評価には必ず材料と過程が必要

新聞や本、誰かの話には新しい発見があります

それがどういうものであるか?を考えるときには、ゼロから1ではなく
今までの人生で得た知識と経験をベースに思考プロセスをへて判断と結論をだします

プロセスは大きく3つ

1・評価対象の情報を取得する

今まで見たことがあるかないか、形や色や性質などなど

2・すでに持っている情報と参照する

既知の知識と比べて類似や同一があるかないか、ないなら判断材料は何か考えるなど

3・結論/判断を出す

上記を経て、”自分の結論”をだす

このステップにおいて、個人の特性などが

「前のステップなんだったん?」というくらい大きく影響します

 

1→3にむかうほどに、客観から主観になるのがわかりますね

構成を無視して先に書いてしまいますが、1と2を飛ばして、3で”誰かが言ってるから”という理由で判断するのが、いわゆる考えられない人の王道パターンです

チェリーピッキングなどで論拠に個人の感想をもちいてくる人は、正誤ではなく自分に都合のいい意見だけを持ってくるわけですが

信者系の人だった場合はここに該当します




プロセスにおいて利用する手段は主観と客観を基本に大きく四つです

主観

A.自分で見たことがないから間違い

B.自分で見たことがあるから正しい

どちらも自分のバイアス、理屈として成立はしませんね

あくまで個人の経験と感想の範囲をでません

そして本当にそれだけで判断してる人は(あまり)いません(と思いたい)

客観情報がないと比較はできないからです

(*考えることを放棄してる人はこの限りではありません)

客観

C.調べた限りで間違い

D.調べた限り正しい

(調べた対象が適切かはまた別の問題ですが、ここでは正しいものを調べたとします)

このように、主観×客観で判断をしていくわけですね

A、Bだけだと、自分が知らないだけという場合があります

ならC、Dだけなら正しいかというと、それはただの情報であり、
示すことは何か?など回答は主観がないと導けません

大体の場合において、C、Dを経て獲得したBは普遍的事実とか一般常識として持っているかと思います

例えばの状況で考えてみましょう

一緒にいる人間が「ピンクの戦車が空を飛んでいる」

と言われたら、まず、否定しますよね

…え、しますよね?汗

さておき、否定するまでに至るプロセスはこんな感じでしょう

・戦車とは装甲車両のことであり、地上を走るもので、飛行機能はない(知識) 

・すでにある知識と見ているものを参照(主観的判断)

・「いや色は知らんけど、空は飛ばんやろ!」(結論)

いちいち考えていないと思うでしょうが、意識下で結論までにそういったプロセスが働いているわけです

では事前の知識や固定概念がない子供の場合などはどうでしょうか?

「ピンクの戦車が空を飛んでいるよ」

「へぇ、戦車って飛ぶんだねぇ」

比較して判断する材料をもたない、主観として偏見もない子供ですと

”大人=信頼できる”という前提をもとに、正しいことと受け取られるでしょう

(ここでは大人は信用されているという設定で)

以降は、その間違いを修正できないかぎり

「戦車は空を飛ぶ」という解釈をし続け、関連することもそのように評価します





このパターンの修正には厄介なところがあります

自分の認識だけではなく、信頼した大人も間違いである

という否定をしなければならないところです

 

もう気づいた方も多いかと思いますが

トンデモやカルトにはまり、脱出できない理由の一つでもあります

無知なほどに騙しやすいうえに、間違った情報に依拠すると以降も積極的に間違い続け

本人が深刻な危機を感じるまではどうにもならないレベルになることが少なくありません

だれが言ったから正しい、というのもこれに該当します

信者思考、というやつでしょうか

とはいえ単純に人気がある人の周辺を全部信者扱いするのは、捻くれた寂しい人なだけでしょうけど

 

もちろんすべてを吟味して判断せよなんてことは不可能ですし

それを要求している人がいたら、その人は深刻な歪みを抱えているでしょうから距離を置くのがおすすめです

とはいえ、”誰が言った”という感情ベースの判断に、ちょっとだけ”事実かどうか”ベースの判断も加えるだけで、世界が変わって見えると思います

一気にやろうとせずに、まずは自分の好きなトピックでだけ習慣づけてみてはいかがでしょうか(*’ω’*)









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